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住職

當麻寺練供養~仏の来迎と浄土往生~

2015.11.8 chouanji (3)

11月8日、長安寺様のお十夜法要にお招きいただきました。

長安寺様は、大阪・天王寺区にある浄土宗のお寺で、花菖蒲をはじめ四季折々のお花で有名です。
今回は、佐藤潤宏御住職のお導きを賜り、計らずも厚かましくもご縁をいただきましたこと、有難くも尊く感じております。

さて今回佐藤潤宏御住職から「當麻寺に千余年続く二十五菩薩練供養~仏の来迎と浄土往生~」という議題をいただいておりました。

浅学非才、若輩者の私をお招きいただいたことに感謝しながら、与えられた時間を精一杯努める事をもってお礼の一端にかえさせていただく気持ちで参りました。

長安寺様に到着しますと、早速、美しい鈴と声の響きに導かれ、本堂に上らせていただきました。
ちょうど先代ご住職の奥様とお檀家様方がご詠歌の練習をされているところでした。

ご本尊は阿弥陀如来様の立像。戦禍による焼失を何とか逃れ、今日まで護られてきた有難いご本尊様です。
脇侍にはご住職がお迎えされた新しい観音菩薩様と勢至菩薩様がおられます。
有難くもそのご尊像を拝し、ご用意頂いた控え所に下がらせていただきました。

控え所にて、お十夜のお勤めを拝聴しておりました。
先代ご住職、ご住職、そしてご子息様、三代揃われての有難いお念仏に合わせ、お檀家様としっかりお念仏の相続を結ばれていることに心打たれました。

お勤めの間には、適宜、若様から差定の案内、ご住職からのお言葉があり、また、お檀家様から零れる温かい笑い声等、何とも温かいお勤めでした。
寺族皆様の平素からのお檀家様との向き合い方そのものが表れているように感じました。

午前のお勤めの後は、私のお話です。

今回は、まずは當麻寺の歴史、當麻曼陀羅と中将姫伝承について、そして當麻寺に於ける護念院の役割・責務についてお話させていただきました。

そして、いよいよ當麻寺練供養会式についてのお話です。

「人がこの世を離れる時、極楽浄土から阿弥陀如来とその一行がお迎えに来て下さる」

という臨終観は、平安時代中期より広く行き渡りました。
阿弥陀様の来迎を願う強い思いは浄土教美術の源泉となり、その様子を実演によって表現することも行われました。
これが、迎講、来迎会、練り供養などと称される行事です。

極楽に見立てた場所とこの世(娑婆)に見立てた場所を用意し、面を被り菩薩に扮した人々が極楽から娑婆まで練り歩き、娑婆で待つ往生者を表す小像を観音菩薩の持つ蓮台に迎え極楽まで連れ帰るという物語を演じるのがこの行事の基本です。

臨終を迎えた人のもとに仏・菩薩が訪れ極楽浄土に迎える様子を演じる阿弥陀来迎劇とでもいうべき法会。
きらびやかな仏・菩薩たちの聖衆の行列は、まるで仏画を抜け出したような臨場感にあふれています。

中国の高僧、善導大師が説かれた「二河白道」には、この世とあの世との対応が明確にあらわされています。

お釈迦さまの在す方を東とし、私たちの迷いの世界、凡夫の世界、娑婆世界を表します。
また、阿弥陀さまの在す方を西とし、信仰のまことの世界、極楽浄土を表します。
そしてその間に、白道があります。白道は極楽浄土に到ろうとする清浄な心を表わしています。
白道の両側、火の河は怒りの心、水の河は貪りの心を表します。

「釈迦は行け 弥陀は来たれの中は我 押され引かれて 渡る白道」

との古歌がございます。お釈迦さまが私のために「往け」とお勧めくださり、阿弥陀さまが「来たれ」とお招きくださいます。

私たちは、周りのいかなる誘惑にも振り向かず、阿弥陀さまの本願にうち任せ、瞋りの火にも焼かれず、貪欲の水にも溺れず、お念仏の白道をただ一向に渡っていくのです。

今年の9月。総本山知恩院五重相伝会成満御礼参拝の際、浄土門主伊藤唯眞猊下が、この「二河白道」のお話を喩えに、練供養会式に対するご教示を下さいました。その中にこのようなお言葉がございました。

   菩薩役になることは、生まれかわることである。すなわち、自分自身が開眼することである。
     信の一念。単なる行事として勤めるのではなく、信仰心の表れとして勤めることが肝要である。

練り供養、これは死出の旅路を表しているだけではありません。我々の信仰の姿、生きて行く姿をも正に表しているのです。

この世は煩悩渦巻く「四苦八苦」の世界です。限りある苦悩の世界を厭い離れて求められるのが、限りない命と智慧に満ちあふれた世界、阿弥陀さまのお浄土、西方極楽浄土です。

私たちは、一つ一つの仏教行事・法要をとおして、今を生きるこの命は、ご先祖から受け継いできたものであることを再確認し、先に逝かれたご先祖を供養するとともに、極楽浄土での「倶会一処」を願い求め、「四苦八苦」の娑婆世界に埋没することなく精進してまいりますという心を確かなものにしていきます。

練供養会式も正にその行事の一つであるのです。

菩薩講をはじめとした多くの方々に護られてきた練供養会式。
この法要にかかわる皆様方の想いを十分にお伝えできたかどうかは分かりませんが、また、一つ有難いご縁をいただいたことに、感謝しております。

合掌 拝

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