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ご質問事例集

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ストレス社会と言われるが、ストレスがあったときどうすれば良いですか?

日常生活において、煩わしい思いをすることは沢山あります。しかしながら、他人の言動は自分の思う通りにはなりません。人のうわさも気にしていたところでどのようにもなりません。頭では分かっていても、中々釈然としないこと、腹の立つこともあります。そんな時は、南無阿弥陀仏とお念仏を呟いているのです。
お念仏を申している間は、自分の心は少なくとも様々な囚われから離れ、阿弥陀様をまっすぐに向いています。晩年の法然上人は一日七万遍のお念仏を申されたのだそうです。中々そこまではゆかずとも、お念仏が自然と出てくる中での生活が、苦しいときも辛いときも、安心して生きていける元となっています。

人の死をどのように受け止めれば良いですか?

「先立たば遅れるひとや待ちやせん 花の台に半ばのこして(この世での別れはこの上なく悲しいものではあるが、共に極楽へ往生させていただくことを思えば、悲しいだけのことではないのだ)」
15歳の冬、私は実母を亡くしました。本当に悲しく辛く、その事を受け入れることに10数年の年月がかかりました。自分勝手に我が身の不幸を嘆き、若くして逝った母の運命を恨みました。お寺に生まれ育ち、僧侶になるための然るべき行を修めながらも暗闇の中にいました。
しかし、或る頃から母の話も人様に出来るようになり、少しずつその事実を受け入れ認められるようになりました。それは、お念仏が少しずつ自分のものになってきたことを表わしているのかもわかりません。「母は先に極楽浄土へ逝かれたのだ。いずれは自分もそこへ逝くのだ。」と。
だからこそ安心して、この娑婆世界を一生懸命に生きようと思えるようになったのです。とかく娑婆世界は思うようにならないもの。しかし、自身の逝く先が定まったのなら、何も恐れることなく、どのような困難にも、どのような運命にも逆らわず生きていけることと思います。

お寺は世襲制ですか?

お寺は世襲制ではありません。しかし、お寺に生まれた男の子は、お檀家さんから将来の住職として期待を寄せられるのは自然な事かもしれません。また、お寺で育つ以上、最低限のことは勉強しなければなりません。有難いことに、2016年9月。五重相伝を開筵させて頂いた際、受者皆様方のお剃度式に先立ち、息子の得度をさせていただく機会を得ました。得度とは、僧侶入門の儀式のことで、剃髪し戒を守ることを誓約し、戒名(僧名)を与えて頂きます。この儀式を受けることで僧侶の仲間入りをします。
しかし、しかるべき勉強をしたから、修行をしたからと言って住職になるわけではないのです。お寺に生まれた子も、他の子どもたち同様幅広く学問を修めなければなりません。そして、然るべき時が来た時に、本人の意志、お檀家さんからのご推薦・ご承認等、周囲の環境が整った時に初めて住職に就任します。当然の如く、一番大切なのは本人の意志・決意であります。
現住職の務めは、息子にお寺を継がせるということではなく、一番弟子でもある息子も含め、次期住職を育成することにあります。

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