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護念院

摂取不捨の光明は念ずるところを照らすなり

當麻寺練供養会式でお称えする来迎和讃の一節「摂取不捨の光明は念ずるところを照らすなり」は、
念仏の行者を大悲の光明のなかに摂い取って決して捨てないという、阿弥陀如来の救いの確かさを告げるものです。

連日厳しい冷え込みにより、池の薄氷には薄っすらとちらつく雪が見えます。
我々の生は、正にこの薄氷を履むが如し、生と死が常に表裏一体です。
當麻曼陀羅は、この世が全てでは無く、阿弥陀如来の救いにより、
我々が極楽に往きて生まれることを示して頂いています。
この曼陀羅を蓮の糸で織り上げられたと云われるのが中将法如。
その中将法如が正に極楽に救われる様相を劇化したものが、當麻寺聖衆来迎練供養会式です。

先日は葛城市ボランティアガイドの会の皆様方の導きにより、
當麻文化会館にて、當麻寺練供養会式の一端を講演・実演する機会を賜りました。
厚かましくも、図らずも、このような機会を頂いた事を有難く感じ、
与えられた時間を精一杯勤めることで、お礼の一端と返させていただきました。

お練供養を地域の皆さま方と共に護り伝えていくことは、
我々の信仰を深め、確立していくだけでなく、地域を護り継承していくことにも繋がります。

葛城市ボランティアガイドの皆さま始め、関係各所の皆さまには
このような機会を我々に与えて頂きましたこと
改めて厚く御礼申し上げます。
合掌拝

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