Toggle

ご案内

浄土宗について

浄土宗のおしえ

浄土宗の宗祖は、法然上人(ほうねんしょうにん)です。
法然上人は、1133年に美作の国(現在の岡山県)でお産まれになりました。
幼少時に父を失った後に出家し、京都の比叡山で仏教・学問を修められました。その後、貴族だけのものであった仏教を、民衆も容易に信仰できるよう、「ただひたすらに仏に帰依すれば必ず救われる。すなわち、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を口に出して唱えれば、必ず仏の救済をうけて平和な毎日を送り、お浄土に生まれることができる。」という他力の教えを広められました。「どこに居ても何をしていても、南無阿弥陀仏を唱え、その仏の御名(みな)のなかに生活しなさい。」という、従来の仏教には無かった教えは、様々な迫害に繋がりましたが、法然上人はひるむことなく、「この教えだけは絶対やめません。」という固い決意を述べられています。また亡くなる際も、「私が死んでも墓を建てなくてもよろしい、南無阿弥陀仏を唱えるところには必ず私が居るのです。」と、強い信念を示されました。南無阿弥陀仏の仏の御名は、すぐ口に出して唱えられます。できるだけ多く口に出して唱えるほど、私たちは仏の願いに近づくことになります。そうすることで素直な心になり、活き活きとして平和な暮らしができるようになります。

極楽浄土とは

「浄土」のもともとの意味は、「仏国土」つまり仏さまの国、世界ということで、そこは清らかな幸せに満ち、どんな苦しみも無いところで、薬師如来や大日如来など、様々な仏さまがそれぞれに浄土を築いて、そこで説法していると説かれています。その中で極楽浄土は、西方浄土ともいわれ、他に極楽界、安養界(あんにょうかい)(土)とも言われています。

極楽浄土は、阿弥陀仏が仏になる前の法蔵菩薩の時に、「命ある者すべてを救いたい」と願って48の本願を立てられ、その願いが成就されて築かれた世界です。すなわち、阿弥陀仏が人々を救うためにお建てになった世界で、どんな人々であろうとも、 念仏を唱えるならば、命終ののち生まれる(行きつく)ことができる永遠のやすらぎの世界であり、けがれや迷いが一切ない、真・善・美の極まった世界です。

しかし、これを単に「楽」が極まった世界と考えてはいけません。
我々は浄土において、仏になるために菩薩行を積むことで、やがて仏になることができるとされます。48の本願の第18番目を「念仏往生の本願」といい、南無阿弥陀仏を口に唱える者は、皆極楽に往生できると説かれています。『阿弥陀経』では、西方十万億土の彼方にある国と記されています。

お念仏の意味

お念仏とは、仏を念ずることであり、その「念」には次の三つの意味があります。

  • 第一に、およそ経典に出てくる念仏の多くは仏を憶念(おくねん=絶えず忘れないこと)することを意味します。経典に出てくる「三念」「五念」「十念」などがこれに属します。
  • 第二に、仏の相好等を見ることで「見仏」「観仏」「観念」といいます。
  • 第三に、仏の名を称(とな)えること即ち「称名」で、浄土宗でお念仏という場合は、この阿弥陀仏の名号を口に称えることです。
Return Top
error: