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當麻寺護念院と秘仏特別拝観 ~南都銀行石切支店交流会ご一同さまをお迎えして~

南都銀行石切支店交流会一同さまをお迎えいたしました。當麻寺三堂(国宝曼陀羅堂・金堂・講堂)をご案内の後、来月14日に執り行います「當麻寺聖衆来迎練供養会式」に纏わるお話をさせて頂きました。
中将姫さまのご命日は旧暦3月14日。『中将姫行状記』(享保15年・1730年)四巻には「・・・姫の御手箱から書き置きを見つけ出し、姫は出家して尼となるために當麻寺に行かれたということが分かりました。豊成卿はしばらく心を静めて考えておられました。そして、あのお釈迦様が出家されたとき、お釈迦様の父浄飯王も息子の出家を止めることが出来なかったことを思われ「姫もまたお釈迦様と同じであろう。その志を思いとどまらせることなどできないであろう。姫の思うままにさよう。」と思われました。それから、父子の繋がりはかえって強くなり、豊成卿は當麻寺に草庵を結ばれました。姫君は前の尼僧と一緒に豊成卿の建てた草庵に移り、ますます修行をつづけられました。この庵を紫雲庵と名付け、代々跡として残っています。それが今の當麻寺護念院です。」と書かれています。また、七巻には「この中将法如比丘尼の入寂された草庵を初めは紫雲庵と名付け、後にその名を護念院と改めました。代々比丘尼衆が曼陀羅堂で日々の供養を法事式等尼衆の勤めとしてきましたが、寛永年中に当院の勤行衆務等尼衆だけでは大変であろうと京師知恩院から専予寛山という僧を此の寺に住持させるようになりました。この時から護念院は僧院となり、中将法如の入寂された時から今に至るまで毎年法如比丘尼の正忌には法事を営み、迎接会を執り行ってきました。この迎接会または迎講というのは来迎引接がどのようなものなのかということを現したもので、現在當麻の練供養というものがこれなのです。」と書かれています。
このように、当院は中将法如の想いを正に受け継ぐお寺であります。そして、當麻曼陀羅を発願された中将法如が来迎される有り様を視覚的に表現した練供養会式を通して「この世を生きる安心」をお伝えするお寺であります。毎年、菩薩講の方と共に練供養会式を執り行うことにより、いずれ必ず参るお浄土があるからこそ我々は喜びだけではなく悲しみや苦しみも分かち合い安心して生きていくことができる、そのような信仰を自分たちのものにしていく営みをお伝え出来たとすれば幸いです。
合掌

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